翡翠の足跡

読んだ本について考えたことを連ねる場所の予定だった

前夜の戯言

明日は土用の丑の日(一の丑)だ。

ツイッターでも頻繁に現れる鰻の話題を見る度に、心から首肯できない自分がいてどうにもすっきりしないので、試みに思うことを書き並べてみることにした。

私は「何故日本人は(このまま絶滅すると分かっていながら)鰻を食べ続けるのか」「今すぐ規制するべきだ」といった趣旨の発言を見ると、「鰻を規制すべきという話は出ているのにどうして煙草も同様に取り沙汰されないのか」「煙草が無くならないのに鰻を食べる習慣が無くなる訳ないじゃないか」という考えが脳裏によぎる。

先に断っておくが、私は煙草を一度も吸ったことがないが、特別鰻が好きだという訳でも、毎年食べる習慣がある訳でもない。煙草に関していうと、良し悪しの前に煙の臭いそのものが苦手で敬遠しているが、喫煙者の方々を非難するつもりは決してない。まさに「百害あって一利なし」を体現したような煙草なんて無くなってしまえばいいのにと思うことも皆無ではないが、好きな人がいることも、煙草からも沢山の税金を取ることで国が回っていることも、煙草の生産に関わる人々がそれでお金を得て生活していることも理解しているつもりだ。

私事で恐縮だが、私の祖父は愛煙家で、肺癌が原因でこの世を去った。聞いた話では、煙草をやめることと死のリスクを負ってまで吸い続けることとを天秤にかけて後者を選んだそうだ。祖父は煙草を「けむい!」と言って嫌がる孫の前では決して吸わなかったこともあるにしても、そこまで覚悟を決めて吸う人々のことをあれこれ言う資格は私にはないと思う。

話が随分脇道に逸れてしまった。
つまり何が言いたいのかというと、こういうことだ。

「楽しむ自分も、無関係の周りの人たちにも害を及ぼすことが分かりきっている煙草でさえ嗜好品として出回っている世界で、(少なくとも楽しむ側には)命に関わる危険がない食文化を、果たしてそう簡単に無くすことができようか。いやできない。」

たまたま鰻が特に話題になっている中で書いた為にこうなったが、鰻に限った話ではないだろう。

とても極端なことを言えば、人間が(もっと言うと、ある種の生物が)暮らしている以上、それ以外の全ての種の生物を決して絶滅させないということは不可能だと思う。人間に限らず我々は、種の繁栄の為に今までそうやって生きてきて、これからもそうやって生きていくのだろう。だからと言って人間の勝手な都合で素知らぬ顔をして絶滅させて言い訳がない。それは当然だ。

だが、今更我が国に根付いた食文化をどうこうしようとしたところで、既に遅すぎるように思えてならない。それが可能であるならば、場合によっては自殺行為にすらなりかねない煙草のような嗜好品が、何故長きに渡って人々の間で楽しまれているのだろうか。

とんでもない極論を書いている自覚はある。それでも得体の掴めないもやもやを吐き出したくて、初エントリがこんな内容になってしまった。次にここを利用するときは(機会があるか分からないが)、もう少し楽しい話題が書けたらと切に思う。